カテゴリ:'14 会津再訪( 7 )

三日目 武家屋敷~帰路

三日目。

とうとう三日間からりといい天気とはならなかった。相変わらずの曇天。昨年の旅は、梅雨の中にもかかわらず本当にいい天気で、晴れ女であることを世に証明したかのようだったのに(ウソ)。
b0117257_2234143.jpg


朝食を終えてから、少し歩いて諏訪神社へ。
ここは八重たちが京都守護職に就いた兄たち会津藩士の無事を祈っていた神社。
そして覚馬と離縁した妻・うらと八重たちが再会したところ(ドラマの中では)。
ドラマ本の中で、うらさんが八重やみねと別れる時に言った「会津の土になる」という言葉がなにか胸に突き刺さってた。ドラマの中では言われなかったのだけれど、だけど架空の言葉であったとしても、その場所に来てみたかったのです。

b0117257_2238661.jpg

b0117257_22382543.jpg

ドラマでは雰囲気出ていたなぁ。それにしても・・・
蚊が多かった…足をたくさん食われました…
だけど地元に人に何百年も前から慕われ続けているということは、何となく感じました。

そしてホテルをチェックアウトしてから、昨年行かなかった武家屋敷へ。
b0117257_22402589.jpg

やはりここでも雨に降られてしまいました。
b0117257_2240583.jpg

b0117257_22412080.jpg

b0117257_2241296.jpg

ここは西郷邸を移築したと言われているのだけれど、こんなに大きいお屋敷、さすが家老とうならされてしまいました。
そしてここでの圧巻はやはりあの女性たちの自刃の姿を人形で再現しているシーンなのですが、それらは痛ましすぎて撮影できませんでした。

それよりも、この時期に咲いていたアジサイ。
b0117257_22434762.jpg

枯れているものも確かに多かったけれど、それでもまだ咲いているのも。色がきれい。
b0117257_2244231.jpg

b0117257_2245665.jpg

帰りの電車の時間までまだ余裕があるから、再度七日町駅周辺を歩くか?という意見もあったのだけれど、それでもこの雨。雨の中子どもたちを歩かせるのはほとほと疲れるので、それは断り、武家屋敷内のお土産屋さんで時間をつぶしました。

そしてレンタカーも返して、会津若松駅へ。
駅内のお蕎麦屋さんで食事。ここは会津そばを。
b0117257_2248143.jpg

これは私のそば。メカブやとろろ、オクラなどがのっていて、「ねばり」だとかいう名前がついていたけれど、昨年ここで食べた時は、八重さんのように粘り強くなるようにって、「八重のそば」だとかいう名前がついていたような気が・・・変わったのか。

そしていよいよ会津ともお別れ。
またいろいろと考える旅になって重かったけれど、でもまた来たい。次回は秋がいいなぁ(今年、来年は無理だけど)。
今回感じたのは、会津の街は私が今まで暮らしてきた街とは違うということ。何が違うとの説明は難しいのだけれど、何もかも便利さが必要以上に行き渡っているわけではなく、それがかえって居心地の良さを感じたりもした。気が付いたのは、例えば全国展開するチェーン店の少なさ。コンビニはもちろんあるけれど、東京のように、犬が歩いただけで何件も見つかるというレベルとは違う。ファストフード店もあふれているわけではない。悪い言い方をすれば田舎なのだろうけれど、物質がやたらとあふれるところに戻ってみると、会津の町のほっとするところが懐かしく感じる。
人も温かかったです。
商売のためなんだろうから当たり前なのかもしれないけれど、お土産屋さんでは必ず子どもたちは声をかけてもらえた。旅行から帰宅後に、子どもがらみでちょっと嫌なことがあって凹んでいたので、あの心地よさが思い出されたのでした。

そんなことをつらつら考えながら、磐梯山にさようなら。
b0117257_225966.jpg

磐梯山って名前を初めて知ったのは、きっと野口英世の伝記。何十年も頭に留めてはきたけれど、今ほど愛着を持って眺めてるときはなかったなぁ。
そして大学時代に会津若松から上京してきた子と同じクラスになって仲良くなった。その子に卒業の際言われた言葉が今でも心に残っている。
ムスメの保育園の先生で会津若松から集団就職してきた年配の先生がいた。私の住む町は某家電メーカーで有名なのだけど、そこに就職するためにたくさんの人が会津からきたのだとのこと、

なんとなく磐梯山とか、会津とか、今までここまで自分との関係を考えてこなかった地域にここまで親近感を持つようになるなんて、一昨年の今頃では考えられなかった。ほんと、人生なにがあるか、どんなところに自分の関心が向くかわからない。

ということで、二度目の会津旅記録、おしまいです。読んでくださって、ありがとうございます。
今度行けるのはいつかな。家庭の事情で来年は無理そう。
やはり白河小峰城が修復が終わった時、その晴れ姿を見に行き、そのまま会津行きかな。
[PR]
by haru-0425 | 2014-08-19 23:10 | '14 会津再訪 | Comments(0)

二日目 御薬園~飯盛山

この旅の記録を書きながら、ドラマのDVDをところどころ見ては、あぁ、あそこはこんなセットだったなぁ、あそこではこんなセリフが交わされていたなぁ…と思いだしたりしています。

今日は夕食の後、子どもたちと第3話を見たのですが、覚馬が黒河内先生の道場で槍の試合をしたところ。
そこで覚馬扮する西島君が上半身裸になったところ(これは一説には女性視聴者へのサービスとも言われていますが)で、5歳ムスコ、うっとりして、「かっこいい~」。おや?おや?そんな憧れのまなざしをするムスコ、初めてかも。
日ごろ食が細くてこちらは困っているのですが、あの「肉体美」を見て、少しは自分もマッチョになるためにと、たくさん食べてほしいものです(母の願い)(笑)。

そうそう、わが家が宿泊したホテルの正面に、「黒河内医院」という診療所がありました。明治時代から伝わっているかのような古い建物と、新しく、ただいまこちらが現役というかのような建物の2棟。「黒河内」って今までそんな聞いたことない姓だけれど、会津では多いのかしらん?

それはそうと、旅の記録。
戊辰戦争終結の地の後は、松平家の別宅となっていて、ドラマのロケにも使われた御薬園へ。
ところがここに着くや否や、雨が本降りに。
とりあえず入園して、屋根のあるところへ。
スマホのアプリ雨雲レーダーによると10分ぐらいで雨雲は通過しそうだったので、そこでしばらく雨宿り。

そこに会津若松市の観光ボランティアの一人のおじいさんと一緒になり、ずっとおしゃべり。ムスメが(だけ?)「八重の桜にはまっていたんです~」ということから、次々に色々な話をしてくださいました。
でもこのおじいさん、変に押しつけではないところがよかった。こちらの話も聞きつつ、ちびの相手もしつつ、優しく、でも流れる様に話ができるって、誰でもできるものではない。聞く人の負担を感じさせない話し方で、すごくいい方でした。

雨もやみ、おじいさんとも別れ、庭園散策。
おじいさんと話している最中から気になっていた、きれいな蓮の花。
b0117257_21452928.jpg

庭園もきれい。
b0117257_21461526.jpg

b0117257_214793.jpg

b0117257_21464147.jpg

売店で煎じて飲む薬?(御薬園なだけに)を売っていたけれど、うまく使いこなせそうだからここでは買いものせず。すみません。
雨もやんだし、お腹も空いたので、昼ご飯を食べに移動。でも何にする?
結局、先ほどうろついた鶴ヶ城会館の食堂で喜多方ラーメンを。
b0117257_22184337.jpg

喜多方ラーメンは醤油味。ラーメンの味では醤油があれば必ず醤油を頼む私。嫌いなはずはない。
店内がかなり涼しかったので、熱いラーメンもまたよかった。

そして白虎隊の悲しいお話の飯盛山に。
昨年も行きましたが、昨年は私も疲れていたのでエスカレーターで上まで登ったのだけれど、今回は家族みんな一緒だし、ムスコの手前階段を使わないわけにはいかない。アナウンスでは「登るのは本当に大変です」とまで言ってたけれど(^^;
b0117257_2154989.jpg


白虎隊の少年たちが臨んだ方向。
b0117257_2155262.jpg

拡大して撮影。お城が見えます。
b0117257_21553126.jpg

ご城下が火や煙にまかれていたら、きっとお城が燃えていると見間違えても無理はないと思う。

そしておそらく彼らが戸ノ口原の戦いから逃れてきて、目にしたであろうさざえ堂。
b0117257_21591595.jpg

b0117257_220544.jpg

彼らは戸ノ口原からここを通ってきたと言われています。
b0117257_220144.jpg

鶴ヶ城には白虎隊の少年たちの肖像画が掲げられていた。ありきたりの表現だけれど、自分の子どもと対して年も変わらないような、まだ幼さが残る少年たちが戦に出された。、そしてたくさんの人が命を落として、町が、物理的にも、人間同士の関わり合いといった面からも崩れてしまった。家族、特に夫婦や親子という最小単位の人間のコミュニティすら断絶させられ、生きていても苦難を味わってきた会津という町。
昨年この町に来て感じたのは、この町の人たちの守りたいものとか、気高い誇りだったけれど、世の中で「集団的自衛権」などという、ともすれば他国の戦争に首を突っ込むこともありよ、みたいなことがまかり通りかねない今年、再び会津に来て感じたのは、やはり規模や手段こそ違えど、人と人が戦うことは何としても阻止しなければならないということ。戦争の道を歩むことで、尊い命を失うなんて過ちは二度と起こしてはならない。

と、重い話を書いた後で、一枚。
b0117257_22143920.jpg

ムスコが宿に着いた後描いた絵。
お城をバックに写真を写してもらってるところだそうです。え?え?家族みんなで写してもらったじゃん。なじょして自分だけ?
しかも妖怪たちがたくさんいるし~。
[PR]
by haru-0425 | 2014-08-19 22:16 | '14 会津再訪 | Comments(0)

二日目 鶴ヶ城~戊辰戦争終結の地

山本家のあったところから、車ですぐの鶴ヶ城駐車場へ。
昨年は大河ドラマ館を見た後お城に入ったので、同じ門から入城。
だけど昨年はなかった、新島八重像が新しくたっていました。
b0117257_12422480.jpg

新島かぁ。せめて籠城戦の八重を映し出すときぐらいは、川崎八重にしてほしかったな。
b0117257_1243865.jpg

もっとも、新島八重になったから、川崎八重の記録も残っているのだろうけど…

そして私が好きな景色の一つ。
廊下橋と言われる朱塗りの橋と周囲の緑のコントラストがまぶしい。
b0117257_12443694.jpg

この写真は、今私のPCの壁紙になっております(^^)

そして天守閣を下から臨む。
b0117257_1331124.jpg

ここであの壮絶な戦があったことなど、想像できない。だけどこの天守閣の修復がなされたのも、そんな昔のことではない。歴史上のことが遠いようで近いようで…
天守閣に登ってからの景色。
b0117257_1249238.jpg
b0117257_12493152.jpg

勝手な感想だけれど、緑の深さが関東の私が住むあたりとまるで違う気がする。昨年ここから眺めた時、これだけの自然に囲まれて、やはりこの自然のあふれる故郷を死守しなければと思う当時の人々の気持ちがわからないでもないという感想を抱いたのだけれど、やはり山に近く、田畑が目の前に広がる光景を見ていたら、そう思うのが自然だろうな。

そしてこの旅行の中で最も見たかったものの一つ。はるか桜。
b0117257_12522082.jpg

「八重の桜」で八重を演じた綾瀬はるかちゃんが植樹したという新種のさくら。まだまだひよっこだけれど、将来どんな花を咲かせるのか、楽しみで仕方がない。
そして城内に、今年1月まであった大河ドラマ館にあり人気の高かった収蔵品がいくつかそのまま移されてきていました。
b0117257_12562929.jpg

これとか。
b0117257_12564770.jpg

これらとか。
b0117257_12565928.jpg

ちょっとマジになる、スペンサー銃体験装置、とか。
あれっきりにならなくて、よかった…(^^;

そして北出丸から出たところのお茶屋さんの壁に、ああ、「会津の三泣き」が書かれている!
b0117257_12591379.jpg


そしてまだこのときは雨も酷くなかったので、西郷頼母邸跡と、戊辰戦争終結の地へと行きました。ここは昨年私とムスメは行ったのですが、オットは初めて。特に終結の地では感慨深そうにしていました。
b0117257_1314166.jpg

b0117257_1322145.jpg

この後は松平家の別宅ともなっていた、御薬園へ行きました。だけどかなりの雨。その話はまたこの後で…。
[PR]
by haru-0425 | 2014-08-19 13:01 | '14 会津再訪 | Comments(0)

二日目 朝

二日目。

宿泊したホテルは昨年ムスメと二人で訪れた時と同じホテルだったのですが、なんといっても朝食バイキング!
まぁ、今となってはよくあるものですが、郷土料理をメニューに出してくれるのがなんとも嬉しい。

昨年来た時もいただいた、会津名物、こづゆ。
祝い事のある時に出されて、もちろん「八重の桜」でも八重と尚之助の結婚のときに「こづゆ、食べてくなんしょ!」とおっかさまがお客人たちに食べていた。
また、会津戦争の一年後、なんとか一年生き延びることが出来たといって、やはりおっかさまが八重たち家族とその時お家再興の報告に来ていた山川大蔵に出していた。

それがこれ。
b0117257_0204434.jpg

東京に生まれ、横浜に育った私にとって、郷土料理というものはない。しいて言えば、父の故郷の金沢ならではの食べ物を口にしたぐらいで、本当に愛着のあるその土地ならではの食事というものはありません。
だから、会津のこのこづゆのように、先祖代々伝わってきて、これを食べてこそ・・・というものがあるのは、本当にうらやましい。

朝食後、お城が開くまでまだ時間があるので、山本家があったところへ。
米代という町というのは、ドラマの中で語られていました。
ちょっとした住宅地の中。そこに碑があるとガイドブックに書いてあったので、行ってみることに。昨年、行きそびれたところ。

あった。
b0117257_0245037.jpg

b0117257_0243879.jpg

碑自体は1989年に建てられたらしいけれど、立て看板は最近(ドラマ放送決定後?)建てられたものかな?同志社大って書いてあるし。
それにしても、1989年には今ほどやえさくブームは来てなかったし、まさかこの碑設置に携わった人たち、特にこれを置くことを認められた家の方々は、自分の家がここまで注目されるとは夢にも思わなかったことでしょう。ガイドブックにも出ているくらいだから、見に来る人も絶えないことでしょう。(御迷惑になることもあるでしょう…すみません)

でもドラマファンとしては、感慨深い。
ああ、この辺りで八重は育って、ここでスウィートホームを築いたのね…とか、この近くで銃の音が響いていたのね、とか思いを寄せます。今はこの辺りからお城を見ることはできないけれど、きっと当時は家の近くからもお城を見ることが出来て、その幼いころからいつも眺めていたお城が官軍に攻め込まれようとするときに、いてもたってもいられなかった気持ちというのはどこかわかる気もする。

ああ、でも江戸時代終わりのこの地を再現出来たら!タイムスリップして、その時代のこの地に行くことが出来たら!
そう思わずにはいられない、八重&覚馬の生誕の地訪問でした。
[PR]
by haru-0425 | 2014-08-19 00:31 | '14 会津再訪 | Comments(0)

七日町周辺

一日目の夕方、ぶらりと歩いて七日町駅方面へ。
ガイドブックでも一押しにされている、レトロな建物が立ち並ぶ地域です。

ところが!
台風11号の影響で、暴風に見舞われ、雨はさほどひどくはなかったけれど、ものすごい風で歩くのも難儀するほど。おまけに旅行者なのでみな持っているのは折りたたみ傘。簡単におちょこになってしまい、雨をよけることもできない。ただでさえ歩くのが危なっかしい(うちだけか?)子どもがいるし。

だからあまり歩いている人もいなく、閑散とした、寂しい写真ばかり。
b0117257_23385032.jpg

b0117257_23391218.jpg

b0117257_23394019.jpg

建築年数から見ると、太平洋戦争前。
これは最終日に武家屋敷に行った時に、スタッフの方から聞いた話ですが、会津は太平洋戦争の空襲の被害からは免れたそうです。だからこのようなレトロな明治後期から建てられてきたような建物が残されてきたのだな。

そして、七日町駅。
b0117257_2341828.jpg

ガイドブックにも多く記載されているように、この中はカフェやお土産屋さんになっていて、おしゃれ。私もお土産にこづゆセットを購入。

b0117257_2342959.jpg

b0117257_23423389.jpg

そしてその近くには清水屋旅館跡。
新島(涙)八重や、その前には土方歳三、そして吉田松陰も止まったというのだから、江戸幕末からあるのか~。というか、戊辰戦争にも耐えたということ。だけど昭和初期に取り壊されたのは、どのような理由なのかな?せっかく他の建物も戦禍から逃れられたのだから、残っていてほしかったような気も…
[PR]
by haru-0425 | 2014-08-15 23:45 | '14 会津再訪 | Comments(0)

一日目 日新館

日新館、再訪!
b0117257_22453241.jpg

健次郎さん、お久しぶりだなし。(←不躾過ぎ)
b0117257_22451715.jpg


とは威勢良くはできないほど、ここでは雨に降られました…
今回の会津旅行は、全般的に雨、雨、雨の連続です。
殊に、一日目は台風11号の影響で、風も強かった。ほかの地域、特に関西地域では知人もFBで「怖かった!」「身の危険を初めて感じた!」と書くほど本当に危険な状態だったらしく、そこから外れた我々は大した被害ではなかったのでしょうが・・・・

なにはともあれ、雨風にさらされながらも、傘を広げては畳み…の作業がうっとおしくても、なんとか日新館の見学を遂行しました。
b0117257_22501479.jpg

天球儀と日新館の生徒。

今回は長男も一緒に日新館見学でしたが、保守的ながらも、一日体験入学とかさせたい!思想がそのまま現代社会に通じるとは思わないけれど、やはり現代社会でも重んじるべき考えはここに根付いていて、子どもに伝承したいものはあります。

b0117257_22522633.jpg

これは、昨年は気づかなかったけれど、井深梶之助先生の銅像。
明治学院大学の二代総長です。
もともと会津藩士で、藩主松平容保公の小姓をしていたのだけれど、戊辰戦争では八重とともに戦ったそうです。それが縁で?(今だからそうつなげているという感もありますが)、のちにキリスト教の大学の総長になったり、姪を同志社女子大学に入れるようにしたりしたそうです。
ソニーの井深さんとも血縁関係はあるそうです。
そう考えると、日新館をはじめ、会津の出身者は、近代日本の教育を土台から固めた人材を多いことに気づかされます。

そして、雨の中の砲術練習場。
b0117257_22574821.jpg

日新館の詳しい見取り図はこちらを

今回は雨脚が強くて、子どもたちはおろか、自分自身の足元さえもおぼつかない中での日新館見学。
おかげで今回は、天文台に登るのは断念。

それでもこの光景はしかと目に焼け付けます。
日新館からの会津の田園風景。
[#IMAGE|b0117257_2302744.jpg|201408/13/57/|mid|637|478#
ちょうど稲が育ち、一面が青々として見える。私が今まで見た景色の中で、ベスト1をあげたくなる風景。
昨年もFBに書いたけれど、こんなに美しい田園風景を見たら、自分の命に代えてでも守りたいと思うのはその土地に生まれて育ってきたならば起こってくる気持ちであっても不思議ではない。

私はたまたまなじみのない土地で阪神淡路大震災に被災したけれど、仮に故郷が大災害に見舞われたら、自分の命に代えてでも、故郷を守りたいと思うだろう。
それがこんなに豊かな自然に恵まれた土地だったら、なおさらだと思う。それだけ会津の田畑は美しいと思いました。

この後、レンタカーで借りた車で日新館から市街地のホテルへ。
前回は路線バスで、色々な所に寄りながら市街地に戻ったのだけれど、今回は早い早い。あっという間。
それでも合理性だけを追求して、確かに見なけれなならないもの、まぶたに焼き付けておかなければならないものを見落としてないか、ちょっと気になるのでした・・・
[PR]
by haru-0425 | 2014-08-13 23:08 | '14 会津再訪 | Comments(0)

一日目 白河

8月10日~12日と、再び福島、会津地方に旅してきました。
今回は家族旅行なので、JR新白河まで新幹線、そこからレンタカーの旅でした。と、いうのも夏場。最終目的地である会津は盆地。てことは暑い。盆地特有の暑さがきっとこもっている。
幼児もいるので、市街地を路線バスで回るのは酷だと思い、車で回ろうと決めたのでした。

JR新白河。
b0117257_20375914.jpg

駅についてすぐに雨が降り始めました。
早速駅前のオリックスレンタカーへ。スバルのレガシーを渡されたのですが、夫はRV系で注文したはず・・・あれ?車高が高い方がいいんだけど・・・ま、いいや。
車に乗り込み、まずは大河ドラマ「八重の桜」でも姿が出てきた、白河小峰城へ。
下調べの時点で、震災の被害のため天守閣に入ることはできないことは知っていたけれど、改めて石垣が壊れているその姿を見て、少々ショックでした・・・
b0117257_20372159.jpg

b0117257_20373966.jpg

よく考えたら、私、震災の物理的な被害をこの目で、じかに見るのは初めて。こんな何百年もたち続けている石垣も大きく壊すほど地震の規模が大きかったのだと、改めて感じました。

そしてこの場内にある資料館へ。
玄関には、「八重の桜」の撮影に使われたアームストロング砲が置いてありました。
b0117257_2040871.jpg


「白河と戊辰戦争」という資料が置いてあったけれど、この資料館は主にこの白河藩の歴史全般について。



資料館のスタッフのおじさんによると、完全修復は再来年ぐらいになるとのこと。そのころにまたおいで、と言われました。

そして場内のお休みどころでは、名物だるまバーガー。
パンは米粉を使っているらしい。中はとんかつだけど、少々油が多かったかな?
何より、厚さが半端なくて、顎関節症の身としては、口をあけるのが難儀(^^;美味しかったけど・・・
b0117257_20443268.jpg

その後、一路、会津は日新館へ車を走らせました。東北道から磐越道へ。猪苗代湖畔を走る頃には、雨脚も強くなり。。。
b0117257_21461465.jpg

こんな感じ。
この先で、戸ノ口原古戦場跡近くを通りましたが、何ともさびしい感じ…そこは官軍が攻めて来た道とのこと。
はるばる西から大勢の兵を率いて、ここまで来て、一つの藩を痛めつけるのに、何の意味があったのだろうか。ただの見せしめのためにここまでやってくることは必要だったのだろうか。一つの藩のすべてを壊し、人々を引き裂き(固いコミュニティを崩壊させ)、多くの命を奪い、味方の命も失いながらも手に入れた明治新政府を、正しいと言い切れるのだろうか。
そんなことをつらつら考えずにはいられない道。
また改めて幕末、維新の本やドラマを見たくなりました。う~ん…

というわけで、しばらく時間がかかるかもしれませんが、会津再旅行記、続きます。
[PR]
by haru-0425 | 2014-08-13 20:45 | '14 会津再訪 | Comments(0)